今週のテーマ

石狩挽歌  12CD-1060
なかにし礼の詩に浜圭介の曲で、歌うのは北原ミレイ。
私が物心ついたころにはすでに廃れていたニシン漁を回顧している。最盛期には猫が見向きもしないくらいに獲れたらしいが、江差から岩内、積丹、小樽、増毛、留萌に至る日本海沿岸一帯は気候の変化や乱獲で
昭和20年代後半には、波もむせび泣くような、さびしい水揚げだったように思う。

ゴメ、ニシン曇り、番屋、ヤン衆、刺し網、ニシン御殿など魚の臭いのしみ込んだ単語で、活況を呈した昔を忍んでいる。タイトルは石狩挽歌となっているが、朝里、オタモイ、古代文字などから、情景は小樽である。ただこの曲のテーマはニシン漁なので、地域をぼんやりとさせるために石狩としたものか。この歌の前年、森進一の歌った「襟裳岬」では”何もない春です”の部分が、あんまりだとのクレームが地元からあったことが影響したのかもしれない。
以前の勢いはないが小樽は今でも石狩湾に面している中では最大の都市である。






小樽が最も輝いていたのは昭和初期で、北海道経済の中心だった。しかしニシン漁の衰退、道内の炭鉱の閉山などがあって、人口は昭和39年に最大となったあとは減り続けており、現在では観光産業に活路を見出している。観光の目玉となっているかっての栄華を物語る運河と倉庫群は、ゴミが浮いて悪臭を出すドブとなっていた運河をつぶし、管理されず放置されていた倉庫は取り壊して再開発する計画だったが、すったもんだの末、市議会が土壇場で踏み留まり一部が残された。再開発反対派に確たる展望があったわけではないだろうが、今となってみれば貴重な資源である。
かっては函館に次ぐ北海道第2の都市だった小樽の奮闘はまだまだ続く。

令和7年5月24日改
(平成29年3月24日初出)